最終学年、もう一度『荒ぶる』を。河瀬諒介[早大FB]

 ラグビーという勝負に生きながら、諒介は人に譲れる若者だ。姓は河瀬である。

杉並区ラグビーフットボール協会所属の早稲田大学ラグビー蹴球部で、4月に4年生になるFB河瀬諒介選手の記事が、専門サイト「ラグビー共和国」に掲載されました。父は永遠のライバル明治大の中心選手でした。

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誰が子どものスポーツを「ささえる」のか ―家族のサポートから考える―

 「誰が子どものスポーツを「ささえる」のか―家族のサポートから考える―」という研究が、笹川スポーツ財団HPに載りました。

 子どものスポーツ活動における家族のサポートを「主に行っている家族」はほとんどが母親で、保護者の負担感が高いサポートは順に「お茶当番など」「練習場所までの送迎」「指導や審判員の補助」「練習や試合の付き添い、見学」「お弁当や飲み物の準備」となっていました。

 「お茶当番など」がないラグビースクールは他競技に比べ、敷居の低い組織だと言えそうです。

東京都中学校・ラグビースクール交流ゲーム

  東京都中学校・ラグビースクール交流ゲームが12月26日、江戸川区陸上競技場で始まりました。杉並区ラグビーフットボール協会所属の國學院久我山中は世田谷区▽江東▽ベイ東京--のスクール勢と対戦しました。

 第26回全国ジュニア・ラグビーフットボール大会が新型コロナの影響で中止となり、 空いた会場を使って都内の中学生世代強化のための試合が組まれました。久我山中は最終日の27日も登場し、江東ジュニアラグビークラブ、本郷中と対戦します。

母への誓いを胸に集大成 問い直す「自らの役割」 早大ラグビー部の炎のタックラー

 西日差す師走の上井草グラウンド(東京都杉並区)。青春の全てを投じた、この地とも別れの時が近づく。早稲田大ラグビー部のFW坪郷智輝(つぼごう・ともき、23歳)=法学部4年=は母への誓いを胸に初心者ながら伝統校の門をたたいた。

 杉並区ラグビーフットボール協会所属の早稲田大学ラグビー蹴球部は2021年1月2日の大学選手権準決勝で帝京大と対戦します。

 毎日新聞に関連記事が掲載されました。

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早大の大物ルーキーは「持っている男」。初先発初トライでチームに弾み

チャレンジである。先手必勝である。大学王者の早大が2週間前の明大戦とは違い、立ち上がりから、先に先に仕掛け続けた。攻めに攻める。前半20分で3トライを奪取。ライバル慶大を29-14で下し、ラグビーの全国大学選手権準決勝に駒を進めた。

 杉並区ラグビーフットボール協会所属の早稲田大学ラグビー蹴球部は12月19日、大学選手権準々決勝で慶応大を破り、年越しを決めました。

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あす早慶再戦。初先発間近の早大・伊藤大祐。目標を叶えるふたつの「逆算」

 狭き門へ挑む。大学選手権2連覇を目指す早大ラグビー部で、今季初先発を間近に控えるのは伊藤大祐。昨年度の全国高校ラグビー大会で日本一となった桐蔭学園の前主将だ。

 ラグビーの大学選手権準々決勝が12月19日、東京・秩父宮ラグビー場で行われます。11月23日の関東大学対抗戦でも対戦した早稲田と慶應が再び激突します。4年生にとっては負ければ引退、勝てばラグビージャージを着て新年を迎えられる大事な一戦を前に、専門サイト「ラグビーリパブリック」に杉並区協会所属の早稲田大学ラグビー蹴球部期待のルーキー、伊藤大祐選手の記事が掲載されました。

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早大司令塔の吉村紘が、前任者の岸岡智樹から教えられたこと

 大学選手権2連覇を目指す早大にあって、昨季から人員が大きく入れ替わっているのがSH、SOの司令塔団だ。1年時からの主力だった名手が昨季限りで卒業し、下級生がその座を引き継ぐ。

 一時日本代表候補となったSHの齋藤直人前主将がサントリーに、独自の戦術眼がSNSなどで評判を呼ぶSOの岸岡智樹がクボタへそれぞれ入社。現在、SHでは齋藤と同じ桐蔭学園高出身の小西泰聖、SOでは東福岡高出身の吉村紘といった2年生コンビが主力争いで一歩リードしている。

 杉並区ラグビーフットボール協会所属の早稲田大学ラグビー蹴球部の記事が、専門サイト「ラグビーリパブリック」に掲載されました。

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 昨季大学日本一となった早稲田大ですが、関東大学ラグビー対抗戦グループでの優勝は2010年度が最後。10年ぶりの対抗戦優勝をかけ、明治大との早明戦を12月6日に戦います。

國學院久我山1ゴール差で花園逃す

 杉並区ラグビーフットボール協会所属の國學院久我山高ラグビー部は11月28日、第100回全国高校ラグビー大会の都県予選2位校による関東ブロック予選決勝で東海大相模に17-19の1ゴール差で敗れ、花園出場を惜しくも逃しました。

 久我山はこれまで全国大会に41回出場し、5回優勝。3年連続で花園に行けないのは、第49回大会(1970年1月)に初出場して以来、初めてとなります。